やなぎょん 政治経済を勉強中!

最近は「政府の財源」について勉強しています.勉強不足・間違いがあるかもしれませんが,あくまで備忘録として公開していきます.経済のエキスパートの方からは,是非優しいアドバイスをお願いします.

1.政府は民間企業のようにコストカットしてはいけない

以下は中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」の第三章『経済政策をビジネス・センスで語るな』を自分なりにまとめたものである.

 

一般のメディアは「政府の無駄遣いをやめろ!」と報道する.これは,経済がインフレ状態の時は正しい訴えである.だが中野氏は,デフレ時にはこの指摘は的外れどころか,国を滅ぼす害悪でしかないと言う.

 

一般に,インフレとデフレは以下のものである.

インフレ:物資不足(供給不足=生産性が低い),需要過多

デフレ:物資過剰(供給過多=生産性が高い),需要不足

 

インフレが起こっている場合は,民間企業が需要を簡単に見つけて,上手に商売できる状況にある.だから,公務員を無駄に増やす必要はなく,いわゆる「政府の無駄遣い」が批判されるべきである.

 

一方デフレが起きている場合は,民間企業が需要を見つけるのは一般には難しい.よって公共事業を行い,公務員に市場で消費をさせることで,民間企業に新たな需要を提供する必要がある.だからこの場合は,いわゆる「政府の無駄遣い批判」は的外れである.

 

しかしながら,民間企業は一般に「常に生産性を向上させるべき」と思って行動する.これについては全く異論はない.デフレだろうがインフレだろうが,民間企業(営利企業)はひたすら生産性を向上させて生き延びるのが筋である.だが,このセンスを政府経営にまで拡張してしまうと,途端に間違いとなる.政府には,民間企業にとっての需要が常に枯渇しないように場を提供するという責任がある

 

だから結論として,今の日本では国策的に市場に需要を供給し,弱いインフレ(マイルドインフレ)を起こし続ける事が妥当であるといえる.ここで訴えたいのは

「インフレ時は,政府は民間企業と同じ経営センスを持つ事が好ましい」

「デフレ時は,政府は民間企業を支える側に周るべきで,民間企業と同じセンスで動いてはいけない」

ということである.「民間企業のセンスを政治にも活かす」という発想は,インフレ時は正しいが,デフレ時は根本的な思い違いなのである.

 

では,現在の日本政府 が行っている政策はどうだろうか?いわゆる「構造改革」は確かに政府の『財源』を確保するという点においてはあたかも正しそうに聞こえる.『財源の確保』『無駄遣いをやめる』事に反対する人はいないからである.また,政府の財政赤字を心配する人も当然いる.

 

結局,「デフレ時は政府は支出をためらってはダメ」という主張を否定する根拠は「では,財源はどうするのだ」という所に行き着くし,それ以外に帰着するような政治的批判は非人道的である.

 

このブログでは,『財源』の問題を軸に,今の日本の状況の分析からスタートして,アメリカから入ってきた新理論である現代貨幣理論(MMT)に着地する事を目指す.MMTは日本含めた各国が慢性的に抱える『財源』の問題を解消する.MMTの説明に対して補足的に,れいわ新選組の大西つねき氏らが主張する「政府紙幣によって“国の借金”を減らす」方法についても触れる.

 

【注釈】

もちろん私も,「既得権益」は嫌いであるし,インフレ時でもデフレ時でも社会にとって害であると思う.ただ,それ以上に今は「デフレ脱却」に全力を注ぐべきで,インフレを起こすためならば多少のインフレ加速型既得権益(=公務員の増大)はやむなしと思われる.イギリスのサッチャー元首相は,当時のイギリスはインフレに悩んでいたので,インフレ型既得権益を破壊した(小さな政府を目指した).今の日本ではこれを真似てはダメであり,デフレ脱却の過程ではインフレ加速型既得権益の発生は黙認し,インフレが加速しそうな局面で整理(破壊)すれば良いのである.

 

【補足】

なお,国策インフレを起こしていくべきと述べると,一般にはハイパーインフレを危惧する指摘がある.そこで,ハイパーインフレとインフレを区別しておこう.

 

ハイパーインフレ:極端な物資不足,インフラ不足,国民は貧しい

成熟社会におけるインフレ:物資やや不足,インフラ十分,国民は貧しくない

 

要するに,物資やインフラの状況がハイパーインフレ(物不足)のときとはかなり違うので,両者は根本的に区別するべきものである.詳しくは後に述べるが,結論から言えば今の日本ではハイパーインフレは絶対に起こらないと断言できる(これ以上の極端な少子高齢化が進んで国が本当に傾きそうにならない限り).