やなぎょん 政治経済を勉強中!

最近は「政府の財源」について勉強しています.勉強不足・間違いがあるかもしれませんが,あくまで備忘録として公開していきます.経済のエキスパートの方からは,是非優しいアドバイスをお願いします.

番外編 ウォーレン家と山田家

米山隆一氏が「山田家の肩たたき券によるMMTモデル」を提唱している.このモデル自体はMMTを上手く表したものではない.つまり,MMT批判の材料としては不適切である.だが,これはこれで思考実験としては面白かったので記事を書く.

 

まず先に理解しておくべきはステファニーケルトン教授の名刺モデルである.ここでの結論は,政府が単に「通貨です」と言って発行するだけでは実は誰も使わなくて,通貨のみが納税に使用可能とすることで通貨は通貨としての価値を持つ,という事である.

まず立場(役柄)としては,以下のように設定されている.

ウォーレン=政府,子どもたち=国民,名刺=通貨

1) ウォーレンが子どもたちに家の手伝いをしたら「名刺」を与える.名刺の枚数はお手伝いの貢献度に比例させる.

2) 子どもたちは名刺を貰っても別に嬉しくないのでお手伝い(=労働)をしない.

3) そこでウォーレンは「毎月末に30枚の名刺を収めないと家に居られなくするぞ!」という脅しを子どもたちにかける

4) 結果,子どもたちは手伝いをするようになる(労働意欲の創出).

 

1)が国債発行,2)がハイパーインフレ状態,3)が税金滞納者を逮捕する権利(徴税権)である.4)の結果が,きちんと徴税権を発揮する限りはハイパーインフレにはどうやってもならない,という事を指している.

もちろんこのモデルでも普通のインフレーションは発生し得る(例えば,ウォーレンが名刺を以前よりたくさん配る,など).だが,根本的な通貨価値崩壊であるハイパーインフレは起こらない.MMTで言えば,インフレ率(=どれくらい名刺を気前よく配るか)がまさしく財政規律になる,ということである.名刺はウォーレン家が存在する限り無限に発行されることになる.名刺のパワーの源はウォーレンと子どもたちの親子間の力関係である.現実の世界で言えば,国家の警察権力や軍事力が通貨を通貨たらしめるパワーの源である.これがまさに通貨発行権である.

 

この様に,「通貨を通貨たらしめるのは国家の徴税権である(国定信用貨幣論)」がWrayの提唱するMMTそのものである,とされる[1].

[1] 中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」

 

では話を山田家に移そう.

まず立場(役柄)としては,以下のように設定されている.

太郎君=政府,父,母=国民,肩たたき券=通貨

では米山氏によるMMTの破綻モデルの概要を述べよう.

1)  太郎君はクッキーが食べたいときは母親に,そばが食べたいときは父親に肩たたきをする約束だが,実際に肩たたきをする代わりに「肩たたき券」を発行する.

2)  肩たたき券は太郎君が母親に発行したものを,母親が父親に渡して労働をしてもらうことも可能である.逆も可能である.

3)  太郎君は肩たたき券を最終的に何枚も渡してしまい,それに報いる労働(肩たたき)を完了する目処が立たなくなってしまったため,話はご破産になる.

 

米山氏によれば,1) は通貨を発行する事を示しているらしい[2].

[2] 国が負債を負う時に発行するのはあくまで国債である.国債と対になる通貨を発行するのは民間銀行である.政府の信用創造では国債(国の赤字)=通貨発行(民間の黒字)となるが,米山氏のモデルで問題にされているのは「通貨の乱造」のほうの様である.国債のやりとりは山田家には出てこないが,おそらく政府=太郎君が持っている(民間銀行から買い上げて保持しておく)ということを念頭に置いているのだろう.

 

2) が民間取り引きである.これはインフレとは関係あるが,ハイパーインフレ(値崩れ)とは関係ない.というのも,この山田家モデルには問題があって,徴税のシステムが働いていない.母親は話の序盤で最初は「肩たたき券の価値を信じている(商品貨幣論)」が,次第に肩たたき券の実効性を疑ってしまっている.この結果がまさに,商品貨幣の問題点を表している.

 

他の問題点は,母親(父親)が太郎君に「肩たたき券」を突きつけた時に,太郎君が労働する意欲を最初から失っている事である.MMTの基盤である国定信用貨幣論では,労働の意欲の源は損得勘定(相場)ではなく,徴税されたくない[3]という負の気持ち,すなわち「負債」である.もしこの貨幣制度を米山氏が本気でMMTのものに近づけようとしたら,何らかの「徴税」システムを入れなければならない.

(例えば,太郎君は父母に『月末に30枚肩たたき券を僕に渡さないと,家に居られなくしてやるぞ!』と脅さなくてはならない)

 

[3] より定量的には,食事は必ずしなくてはならない,などの「顕には意識されにくいが実際には存在する負債」も考慮に入れなくてはならない.但し,「飢え」は通貨の存在を意義づけるが,それは商品貨幣や国定じゃない信用貨幣でも可能なので,日本円などに通貨が一意に決まることは保証しない.

 

3) では太郎君は太ってしまい生産力(肩たたきする力)を低下させ,父母の需要(肩たたきの願望)を満たせなくなっている.今度は太郎君にも対しても徴税システムでしっかりと「脅迫」しなければ,労働意欲が減退して生産力が低下する.なお,労働の主体が国民=父母から政府=太郎君に入れ替わってしまっているように見える山田家モデルであるが,これはMMTの不完全性ではなく米山氏のモデル構築が失敗していることを意味する.

 

要するに,米山氏の山田家のモデルはMMTの基盤の一つである徴税のシステムを完全に無視した,不適切なモデルなのである.

 

最後に補足として,米山氏がリソースの枯渇(クラウディング・アウト)について述べている点についてもコメントする.米山氏の言うように,確かに日本国の全ての資源を取り尽くすのは確かに誰が見ても困る(大西つねき氏も同様の懸念を持っている).例えば,通貨発行権がある場合にベーシックインカムや年金でお金を配る事には何の制限もない(お金は実体を持たない)が,公共事業の発注ペースは考えなくてはならないという意味である.

これは,需要と供給で論じられるような,経済理論の問題ではない.これは主流派だろうがケインズ派であろうが,地球人類全体に課された課題である.つまり,MMTを批判する材料としては完全に的外れである.資源の根本的な枯渇は問題であるが,であるならば尚更,環境問題を解決するための技術開発や投資を積極的に行って,問題を根本的に解決するべきである.故に,緊縮財政を行って少子化や技術流出を進めてしまうよりは,拡張財政(お金は単に国内で動くだけ)にして技術発展をする方が適切であると言える.

 

以上をまとめると,米山氏のモデルはMMTを正確に表しているとは全く言えないので,MMT批判につかうモデルとしては不適切である.