番外編 MMTでは,予算を毎年大幅に変更する必要があるのか?
以前紹介した米山隆一氏のMMT批判の,コアの部分は
『財政出動(予算管理)でインフレ率をコントロールするのが難しい』
という主張に尽きるようである.「インフレ率コントロールが難しい」という批判は日銀の原田泰氏と似ているので,同じ種類の批判に分類してしまったが,今思えばそれは私の全くの勘違いであった.
ちなみに,藤井聡氏の一纏めにした反論も,米山氏への批判については若干的外れである.米山氏の前提(40兆円の不足)に直接答えていないからである.
先に結論を述べる.
(1) 米山氏はMMTの理論は概ね理解しているが,MMTの財政政策方針は間違った理解をしている.
(2) 米山氏はMMT財政政策に対する彼の間違った理解を前提として,MMT批判を展開している.
要するに,MMT論者と米山氏とで根本的に話が噛み合っていない.だから,MMT論者は米山氏とはまともに取り合わない人が多いのだろう.だが,米山氏はwikipediaを読むと,灘高校から東京大学理IIIに入るなど,輝かしい学歴をお持ちのようなので,その威光のせいで彼の間違った理解が信じられてしまうと良くないので,一応米山氏の言うことを丁重に否定しておこう.
具体的な否定の前に,重要な前提として
「政府の予算調達は国民から集めた税金を原資として行われるのではなく,民間銀行に対する信用創造(国債発行)で得られた政府の日銀当座預金を用いる」
という事実を再度述べておく.徴税→予算 ではなくて 予算→ 徴税 の順番である.今年度の徴税が少なかったら来年度の予算執行できません!なんてことには全くならず,政府はいつでも信用創造で民間銀行から予算を調達できる[1].ここを誤解すると以下の文章は全く理解できないので,あらかじめ注意する.一応断っておくが,私は米山氏がここ(信用創造)を誤解しているとは考えていない.あくまで読み手向けのメッセージである.
[1] 例えば清滝信宏氏の2018年8月14日の日経新聞の記事は,典型的な間違いであるとされる(中野剛志「奇跡の経済教室」)
米山氏は記事で
(MMTの主張)6「財政赤字がインフレを招いたら、財政赤字を止めればいい(やめる事が出来る)」
と書いている.財政赤字をやめる,とは
(A) 赤字をやめればいい=単年度プライマリバランス黒字にすればいい
(B) 赤字をやめればいい=財政赤字(公共事業発注)を前年比で増やす事をやめれば良い
の2つの可能性があるが,MMTをある程度理解している人間からすると,間違いなく(B)である.MMTはインフレ目標達成したらいきなりプライマリバランス黒字を達成するなどとは言っていない.だが,以下に続く分析で述べるように,おそらく米山氏は(A)だと思っている.客観的には,MMT派(中野氏など)と米山氏の間の単なるコミュニケーションミスなのでは?と,思われる.
[2] https://www.youtube.com/watch?v=LJWGAp144ak の中野剛志氏の動画の22分頃.財政赤字の拡大という,若干紛らわしい表現になっている.中野氏が想定している「拡大」とは,政府の収支全体の赤字の拡大ではなく,単年度でみた時の拡大のことである.
では,米山氏の意見から伺える,MMTに対する誤解についてコメントしていこう.
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html?page=3
ここの前置きについては,特に異論はない.どの団体も予算を毎年変えられては困るのは明らかだからである.米山氏は「MMTだと予算を毎年大幅に変えなくてならない」ような体で話を構築しているようである.MMTはインフレ目標を達成しても基本的には予算を同程度で推移させる事を想定している.これらの記述から,米山氏が誤解(A)を前提に考えている様子が伝わってくる.
問題はここからである.
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html?page=4
以下,『』で米山氏の発言を引用する.
『例えば現在日本はざっと60兆円の税収で100兆円の予算を組み、毎年40兆円の赤字を出しているのですが、「インフレ率が2%に達した」(「アベノミクス」的にはとっくに達成しているはずの目標ですが)途端に、その年の予算をいきなり40兆円削減して…』
ここでいきなり,MMTでは普通想定されないような政策を勝手に持ち出している.もちろん,インフレが進んできたらゆっくりと構造改革を進めていく(つまり公共投資を減らす)ということは必要であるが,いきなり40兆円減らす,という話を持ち出すのは,既に述べた誤解(A)そのものとしか思えない.
なお,現在のインフレ率と貧困問題についての分析はまた別の機会を儲ける.
『従って、仮に日本政府がMMTを採用し、「財政赤字は幾ら継続しても大丈夫!」として40兆円の財政赤字を放置し、例えば5年後にインフレ率が2%に達した時に財政赤字を止めようとする』
全く同じ事であるが,当然プライマリーバランスを気にしない政策(財政赤字容認)からいきなりプライマリーバランス黒字(政策(A))に持っていくのは,非現実的であるし,(当たり前だが)そんな大幅変更はしないし,必要ない.MMTの正しい政策はあくまで(B)である.
『MMT論者は、よく「インフレによって税収も上がるから大丈夫!(財政のビルトインスタビライザーと言います。)」と主張しますが、政府の試算等から1%のインフレがあった場合の税収増は1兆円程度と見込まれ、とても足りません。』
そもそもMMTでは税収を次年度や次々年度予算に取り込まない(そもそもプライマリーバランス黒字は全く目指さない).したがって,いくら税収が得られようが,その金額で議論しても意味はない.故に,この発言もまた,MMTの前提を完全に無視したもの(政策(A))であり,批判する以前に話が噛み合っていない.また,米山氏が言う「1兆円」が次年度予算として足りなかろうが足りようが,それを次年度の予算の原資にするわけではないから,関係ない(先述.MMTの主な財源は国債発行である).
なお,MMTで想定するビルトインスタビライザーの一つは所得税である.その機能について考えてみよう.
重要な機能は「個人消費の安定化」である.個人消費はGDPの60%近くを締めるため,個人消費を一定に保つことが物価安定の基本方針である.単純に,前年度の手取り収入が500万円の給与所得者について,本年度の額面収入が増大しても,結果的に本年度の手取りが500万円に近づく様に累進課税をかけるということである.MMTを始めとするケインズ派の考えは「消費者の持ち金が需要をコントロールする」であるから,手取り収入をコントロールすることで需給バランスコントロールする.だから,所得税が有効なのである.
決して増収で予算を補填するなどとは一言も言っていない事に注意である.
注意点は,2つの経済学の流派の見解の相違である.
もっと砕いて言うと
- 主流派経済学「どんなに貧しかろうが,魅力的な商品があれば必ず買う.有り金を必ず使い果たし,デフレでも借金してでも必ず需要=供給になるように買い物をする」
- MMT(ケインズ派) 「どんなに魅力的な商品があろうが,貧しかったら買わずに我慢する」
である.デフレのときは完全にケインズ派の方が正しく,多少インフレでも,庶民にはケインズ派的な心理作用が強く働く.
『仮に「消費税20%増税法案」など出ようものなら、国会は大紛糾。選挙で与党は惨敗です。断行しても倒産の嵐、死屍累々は必然と思われます。勿論、ここでもいきなりではなく消費税を2%ずつ上げるという選択肢もありますが、それなら均衡財政に持っていくまでに10年程必要で、その間ひたすらインフレが継続する事になります。』
これも,米山氏の間違ったMMTに対する解釈(政策(A))を前提にしているので,おかしな話になっている.インフレになったらプライマリバランス黒字を目指すものと勘違いしている.MMTを理解する場合はプライマリバランス黒字というものを完全に捨て去らなくてはならない.あくまで「やめる」のは財政赤字=財政出動=単年度ごとの予算についての財政出動の増加を「やめる」のである.要するに支出を一定に保つという事である.MMTはプライマリバランス黒字は永久に目指さない.
『要するに、MMT論者の唯一の新しい主張(ただしこれは古い主張でもある)といえる、「万一インフレになったら財政を均衡させれば大丈夫」は、その経済的・社会的・政治的コストがあまりに膨大で、ほとんど不可能なのです。』
くどいようだが,まさに,MMT政策に対する誤解である.インフレ達成→即プライマリバランス黒字(政策(A))とはしない.正しい意図は(B)である.
『そしてその帰結として、いつかは生じるインフレが万一許容出来る範囲を超えた場合に即座に対処するためには、標準的経済学が教える通り、平素から日銀の国債の直接引き受けは行わず、均衡財政とは言わないまでも財政赤字を一定の範囲に抑えておくしかないのです。』
確かに日銀の直接引き受けは法律上は禁止されているが(市中消化の原則),手続きこそ制約が加わるものの,実際の国債発行は直接引き受けと本質的に同じ事が行われている[1,2].
また,ケインズ派ではそもそも,インフレ率を決めているのは世帯の収入であると考える.故に,供給(生産性)が一定であれば、財政赤字をいくら溜め込もうが,信用危機にでも陥らない限り急激なインフレ加速はない.赤字拡大=預金増大による信用危機の場合のインフレ(ハイパーインフレ)はこの記事で議論している.
以上より,米山氏の批判文は,氏が想定しているMMTの方針に誤解がなかったとしたら大きな矛盾はないが,そもそも批判しようとしている対象であるMMTに対する誤解が多いので,話が噛み合っていないとしか言えないのである.これについてはMMT派の表現
「財政赤字をやめる」
という言い回しも確かに紛らわしいので責任の一端はある.だが,財政赤字=単年度予算 あるいは財政赤字=毎回の公共事業発注 という言い回しは素人の私から見ても理解可能なので,政治家である米山氏が誤解するのは不思議である.どちらにせよ,単なるコミュニケーションミスだと思われる.
【おまけ】
米山隆一氏の批判の誤りは過去にも指摘されているようである.
ここで,記事を書いたuematsu tubasaさんは
「インフレ赤字が2%となったら、財政赤字を終了する?
誰がそんなこと主張しているのでしょうか。」
とおっしゃっているようで,私もuematsuさんにこの点は完全に同意であるし,まさにここが米山流批判の急所だと思う.なお,uematsu氏は信用創造についての米山氏の誤解(の可能性)を述べているが,私はどうもそこは勘違いの本質ではなさそうに思われる.一応米山氏は
「1.銀行の預金が貸し出されるのではなく、預金は貸し出しによって生まれる」
とおっしゃっているので,一応表面的には正しい事を言っている.一方,2ページ目の米山氏の主張
『預金が貸し出しを作るのか、貸し出しが預金を作るのかも同じ話で、同じ物事をどちらから見ているかに過ぎません。標準的経済学でも預金が貸し出しによって生まれると考えることもあり、特段新しい考え方ではありません。』
では,信用創造の理解についてのルーズさや曖昧さが垣間見える.イングランド銀行の四季報でも述べられている様に,「貸出→預金」であって「原資→貸出」ではない[3].uematsuさんはルーズさが気になるのだろうが,そこは米山氏の主訴には影響していない(多分).米山氏の主訴はおそらく「実務的に予算はどうするのか」という事である.
[3] 中野剛志「奇跡の経済教室」から孫引き