やなぎょん 政治経済を勉強中!

最近は「政府の財源」について勉強しています.勉強不足・間違いがあるかもしれませんが,あくまで備忘録として公開していきます.経済のエキスパートの方からは,是非優しいアドバイスをお願いします.

番外編 ウォーレン家と山田家

米山隆一氏が「山田家の肩たたき券によるMMTモデル」を提唱している.このモデル自体はMMTを上手く表したものではない.つまり,MMT批判の材料としては不適切である.だが,これはこれで思考実験としては面白かったので記事を書く.

 

まず先に理解しておくべきはステファニーケルトン教授の名刺モデルである.ここでの結論は,政府が単に「通貨です」と言って発行するだけでは実は誰も使わなくて,通貨のみが納税に使用可能とすることで通貨は通貨としての価値を持つ,という事である.

まず立場(役柄)としては,以下のように設定されている.

ウォーレン=政府,子どもたち=国民,名刺=通貨

1) ウォーレンが子どもたちに家の手伝いをしたら「名刺」を与える.名刺の枚数はお手伝いの貢献度に比例させる.

2) 子どもたちは名刺を貰っても別に嬉しくないのでお手伝い(=労働)をしない.

3) そこでウォーレンは「毎月末に30枚の名刺を収めないと家に居られなくするぞ!」という脅しを子どもたちにかける

4) 結果,子どもたちは手伝いをするようになる(労働意欲の創出).

 

1)が国債発行,2)がハイパーインフレ状態,3)が税金滞納者を逮捕する権利(徴税権)である.4)の結果が,きちんと徴税権を発揮する限りはハイパーインフレにはどうやってもならない,という事を指している.

もちろんこのモデルでも普通のインフレーションは発生し得る(例えば,ウォーレンが名刺を以前よりたくさん配る,など).だが,根本的な通貨価値崩壊であるハイパーインフレは起こらない.MMTで言えば,インフレ率(=どれくらい名刺を気前よく配るか)がまさしく財政規律になる,ということである.名刺はウォーレン家が存在する限り無限に発行されることになる.名刺のパワーの源はウォーレンと子どもたちの親子間の力関係である.現実の世界で言えば,国家の警察権力や軍事力が通貨を通貨たらしめるパワーの源である.これがまさに通貨発行権である.

 

この様に,「通貨を通貨たらしめるのは国家の徴税権である(国定信用貨幣論)」がWrayの提唱するMMTそのものである,とされる[1].

[1] 中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」

 

では話を山田家に移そう.

まず立場(役柄)としては,以下のように設定されている.

太郎君=政府,父,母=国民,肩たたき券=通貨

では米山氏によるMMTの破綻モデルの概要を述べよう.

1)  太郎君はクッキーが食べたいときは母親に,そばが食べたいときは父親に肩たたきをする約束だが,実際に肩たたきをする代わりに「肩たたき券」を発行する.

2)  肩たたき券は太郎君が母親に発行したものを,母親が父親に渡して労働をしてもらうことも可能である.逆も可能である.

3)  太郎君は肩たたき券を最終的に何枚も渡してしまい,それに報いる労働(肩たたき)を完了する目処が立たなくなってしまったため,話はご破産になる.

 

米山氏によれば,1) は通貨を発行する事を示しているらしい[2].

[2] 国が負債を負う時に発行するのはあくまで国債である.国債と対になる通貨を発行するのは民間銀行である.政府の信用創造では国債(国の赤字)=通貨発行(民間の黒字)となるが,米山氏のモデルで問題にされているのは「通貨の乱造」のほうの様である.国債のやりとりは山田家には出てこないが,おそらく政府=太郎君が持っている(民間銀行から買い上げて保持しておく)ということを念頭に置いているのだろう.

 

2) が民間取り引きである.これはインフレとは関係あるが,ハイパーインフレ(値崩れ)とは関係ない.というのも,この山田家モデルには問題があって,徴税のシステムが働いていない.母親は話の序盤で最初は「肩たたき券の価値を信じている(商品貨幣論)」が,次第に肩たたき券の実効性を疑ってしまっている.この結果がまさに,商品貨幣の問題点を表している.

 

他の問題点は,母親(父親)が太郎君に「肩たたき券」を突きつけた時に,太郎君が労働する意欲を最初から失っている事である.MMTの基盤である国定信用貨幣論では,労働の意欲の源は損得勘定(相場)ではなく,徴税されたくない[3]という負の気持ち,すなわち「負債」である.もしこの貨幣制度を米山氏が本気でMMTのものに近づけようとしたら,何らかの「徴税」システムを入れなければならない.

(例えば,太郎君は父母に『月末に30枚肩たたき券を僕に渡さないと,家に居られなくしてやるぞ!』と脅さなくてはならない)

 

[3] より定量的には,食事は必ずしなくてはならない,などの「顕には意識されにくいが実際には存在する負債」も考慮に入れなくてはならない.但し,「飢え」は通貨の存在を意義づけるが,それは商品貨幣や国定じゃない信用貨幣でも可能なので,日本円などに通貨が一意に決まることは保証しない.

 

3) では太郎君は太ってしまい生産力(肩たたきする力)を低下させ,父母の需要(肩たたきの願望)を満たせなくなっている.今度は太郎君にも対しても徴税システムでしっかりと「脅迫」しなければ,労働意欲が減退して生産力が低下する.なお,労働の主体が国民=父母から政府=太郎君に入れ替わってしまっているように見える山田家モデルであるが,これはMMTの不完全性ではなく米山氏のモデル構築が失敗していることを意味する.

 

要するに,米山氏の山田家のモデルはMMTの基盤の一つである徴税のシステムを完全に無視した,不適切なモデルなのである.

 

最後に補足として,米山氏がリソースの枯渇(クラウディング・アウト)について述べている点についてもコメントする.米山氏の言うように,確かに日本国の全ての資源を取り尽くすのは確かに誰が見ても困る(大西つねき氏も同様の懸念を持っている).例えば,通貨発行権がある場合にベーシックインカムや年金でお金を配る事には何の制限もない(お金は実体を持たない)が,公共事業の発注ペースは考えなくてはならないという意味である.

これは,需要と供給で論じられるような,経済理論の問題ではない.これは主流派だろうがケインズ派であろうが,地球人類全体に課された課題である.つまり,MMTを批判する材料としては完全に的外れである.資源の根本的な枯渇は問題であるが,であるならば尚更,環境問題を解決するための技術開発や投資を積極的に行って,問題を根本的に解決するべきである.故に,緊縮財政を行って少子化や技術流出を進めてしまうよりは,拡張財政(お金は単に国内で動くだけ)にして技術発展をする方が適切であると言える.

 

以上をまとめると,米山氏のモデルはMMTを正確に表しているとは全く言えないので,MMT批判につかうモデルとしては不適切である.

番外編 MMTでは,予算を毎年大幅に変更する必要があるのか?

以前紹介した米山隆一氏のMMT批判の,コアの部分は

財政出動(予算管理)でインフレ率をコントロールするのが難しい』

という主張に尽きるようである.「インフレ率コントロールが難しい」という批判は日銀の原田泰氏と似ているので,同じ種類の批判に分類してしまったが,今思えばそれは私の全くの勘違いであった.

 

ちなみに,藤井聡氏の一纏めにした反論も,米山氏への批判については若干的外れである.米山氏の前提(40兆円の不足)に直接答えていないからである.

 

先に結論を述べる.

(1) 米山氏はMMTの理論は概ね理解しているが,MMTの財政政策方針は間違った理解をしている.

(2) 米山氏はMMT財政政策に対する彼の間違った理解を前提としてMMT批判を展開している.

要するに,MMT論者と米山氏とで根本的に話が噛み合っていない.だから,MMT論者は米山氏とはまともに取り合わない人が多いのだろう.だが,米山氏はwikipediaを読むと灘高校から東京大学理IIIに入るなど,輝かしい学歴をお持ちのようなので,その威光のせいで彼の間違った理解が信じられてしまうと良くないので,一応米山氏の言うことを丁重に否定しておこう.

 

具体的な否定の前に,重要な前提として

「政府の予算調達は国民から集めた税金を原資として行われるのではなく,民間銀行に対する信用創造国債発行)で得られた政府の日銀当座預金を用いる」

という事実を再度述べておく.徴税→予算  ではなくて  予算→ 徴税 の順番である.今年度の徴税が少なかったら来年度の予算執行できません!なんてことには全くならず,政府はいつでも信用創造で民間銀行から予算を調達できる[1].ここを誤解すると以下の文章は全く理解できないので,あらかじめ注意する.一応断っておくが,私は米山氏がここ(信用創造)を誤解しているとは考えていない.あくまで読み手向けのメッセージである.

[1]  例えば清滝信宏氏の2018年8月14日の日経新聞の記事は,典型的な間違いであるとされる(中野剛志「奇跡の経済教室」)

 

米山氏は記事で

MMTの主張)6「財政赤字がインフレを招いたら、財政赤字を止めればいい(やめる事が出来る)」

と書いている.財政赤字をやめる,とは

 

(A) 赤字をやめればいい=単年度プライマリバランス黒字にすればいい

(B) 赤字をやめればいい=財政赤字(公共事業発注)を前年比で増やす事をやめれば良い

 

の2つの可能性があるが,MMTをある程度理解している人間からすると,間違いなく(B)である.MMTインフレ目標達成したらいきなりプライマリバランス黒字を達成するなどとは言っていない.だが,以下に続く分析で述べるように,おそらく米山氏は(A)だと思っている.客観的には,MMT派(中野氏など)と米山氏の間の単なるコミュニケーションミスなのでは?と,思われる.

[2] https://www.youtube.com/watch?v=LJWGAp144ak  の中野剛志氏の動画の22分頃.財政赤字の拡大という,若干紛らわしい表現になっている.中野氏が想定している「拡大」とは,政府の収支全体の赤字の拡大ではなく,単年度でみた時の拡大のことである.

 

では,米山氏の意見から伺える,MMTに対する誤解についてコメントしていこう.

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html?page=3

ここの前置きについては,特に異論はない.どの団体も予算を毎年変えられては困るのは明らかだからである.米山氏は「MMTだと予算を毎年大幅に変えなくてならない」ような体で話を構築しているようである.MMTインフレ目標を達成しても基本的には予算を同程度で推移させる事を想定している.これらの記述から,米山氏が誤解(A)を前提に考えている様子が伝わってくる.

 

問題はここからである.

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html?page=4

 

以下,『』で米山氏の発言を引用する.

『例えば現在日本はざっと60兆円の税収で100兆円の予算を組み、毎年40兆円の赤字を出しているのですが、「インフレ率が2%に達した」(「アベノミクス」的にはとっくに達成しているはずの目標ですが)途端に、その年の予算をいきなり40兆円削減して…』

ここでいきなり,MMTでは普通想定されないような政策を勝手に持ち出している.もちろん,インフレが進んできたらゆっくりと構造改革を進めていく(つまり公共投資を減らす)ということは必要であるが,いきなり40兆円減らす,という話を持ち出すのは,既に述べた誤解(A)そのものとしか思えない.

なお,現在のインフレ率と貧困問題についての分析はまた別の機会を儲ける.

 

『従って、仮に日本政府がMMTを採用し、「財政赤字は幾ら継続しても大丈夫!」として40兆円の財政赤字を放置し、例えば5年後にインフレ率が2%に達した時に財政赤字を止めようとする

全く同じ事であるが,当然プライマリーバランスを気にしない政策財政赤字容認)からいきなりプライマリーバランス黒字(政策(A))に持っていくのは,非現実的であるし,(当たり前だが)そんな大幅変更はしないし,必要ないMMTの正しい政策はあくまで(B)である.

 

MMT論者は、よく「インフレによって税収も上がるから大丈夫!(財政のビルトインスタビライザーと言います。)」と主張しますが、政府の試算等から1%のインフレがあった場合の税収増は1兆円程度と見込まれ、とても足りません。』

そもそもMMTでは税収を次年度や次々年度予算に取り込まない(そもそもプライマリーバランス黒字は全く目指さない).したがって,いくら税収が得られようが,その金額で議論しても意味はない.故に,この発言もまた,MMTの前提を完全に無視したもの(政策(A))であり,批判する以前に話が噛み合っていないまた,米山氏が言う「1兆円」が次年度予算として足りなかろうが足りようが,それを次年度の予算の原資にするわけではないから,関係ない(先述.MMTの主な財源は国債発行である).

 

なお,MMTで想定するビルトインスタビライザーの一つは所得税である.その機能について考えてみよう.

重要な機能は「個人消費の安定化」である.個人消費GDPの60%近くを締めるため,個人消費を一定に保つことが物価安定の基本方針である.単純に,前年度の手取り収入が500万円の給与所得者について,本年度の額面収入が増大しても,結果的に本年度の手取りが500万円に近づく様に累進課税をかけるということである.MMTを始めとするケインズ派の考えは「消費者の持ち金が需要をコントロールする」であるから,手取り収入をコントロールすることで需給バランスコントロールする.だから,所得税が有効なのである.

決して増収で予算を補填するなどとは一言も言っていない事に注意である.

 

注意点は,2つの経済学の流派の見解の相違である.

  • 主流派経済学    「需要が増えるのは,供給が増える(生産性が上がる)からである」
  • MMTケインズ派) 「需要が増えるのは,消費者の財力が上昇するからである」

もっと砕いて言うと

  • 主流派経済学「どんなに貧しかろうが,魅力的な商品があれば必ず買う.有り金を必ず使い果たし,デフレでも借金してでも必ず需要=供給になるように買い物をする」
  • MMTケインズ派) 「どんなに魅力的な商品があろうが,貧しかったら買わずに我慢する」

である.デフレのときは完全にケインズ派の方が正しく,多少インフレでも,庶民にはケインズ派的な心理作用が強く働く.

 

『仮に「消費税20%増税法案」など出ようものなら、国会は大紛糾。選挙で与党は惨敗です。断行しても倒産の嵐、死屍累々は必然と思われます。勿論、ここでもいきなりではなく消費税を2%ずつ上げるという選択肢もありますが、それなら均衡財政に持っていくまでに10年程必要で、その間ひたすらインフレが継続する事になります。』

これも,米山氏の間違ったMMTに対する解釈(政策(A))を前提にしているので,おかしな話になっている.インフレになったらプライマリバランス黒字を目指すものと勘違いしている.MMTを理解する場合はプライマリバランス黒字というものを完全に捨て去らなくてはならない.あくまで「やめる」のは財政赤字財政出動=単年度ごとの予算についての財政出動の増加を「やめる」のである.要するに支出を一定に保つという事である.MMTはプライマリバランス黒字は永久に目指さない.

 

『要するに、MMT論者の唯一の新しい主張(ただしこれは古い主張でもある)といえる、「万一インフレになったら財政を均衡させれば大丈夫」は、その経済的・社会的・政治的コストがあまりに膨大で、ほとんど不可能なのです。』

くどいようだが,まさに,MMT政策に対する誤解である.インフレ達成→即プライマリバランス黒字(政策(A))とはしない.正しい意図は(B)である.

 

『そしてその帰結として、いつかは生じるインフレが万一許容出来る範囲を超えた場合に即座に対処するためには、標準的経済学が教える通り、平素から日銀の国債の直接引き受けは行わず、均衡財政とは言わないまでも財政赤字を一定の範囲に抑えておくしかないのです。』

 確かに日銀の直接引き受けは法律上は禁止されているが(市中消化の原則),手続きこそ制約が加わるものの,実際の国債発行は直接引き受けと本質的に同じ事が行われている[1,2].

また,ケインズ派ではそもそも,インフレ率を決めているのは世帯の収入であると考える.故に,供給(生産性)が一定であれば、財政赤字をいくら溜め込もうが,信用危機にでも陥らない限り急激なインフレ加速はない.赤字拡大=預金増大による信用危機の場合のインフレ(ハイパーインフレ)はこの記事で議論している.

 

 

以上より,米山氏の批判文は,氏が想定しているMMTの方針に誤解がなかったとしたら大きな矛盾はないが,そもそも批判しようとしている対象であるMMTに対する誤解が多いので話が噛み合っていないとしか言えないのである.これについてはMMT派の表現

財政赤字をやめる」

という言い回しも確かに紛らわしいので責任の一端はある.だが,財政赤字=単年度予算 あるいは財政赤字=毎回の公共事業発注 という言い回しは素人の私から見ても理解可能なので,政治家である米山氏が誤解するのは不思議である.どちらにせよ,単なるコミュニケーションミスだと思われる.

 

【おまけ】

米山隆一氏の批判の誤りは過去にも指摘されているようである.

ここで,記事を書いたuematsu tubasaさんは

「インフレ赤字が2%となったら、財政赤字を終了する?
誰がそんなこと主張しているのでしょうか。

とおっしゃっているようで,私もuematsuさんにこの点は完全に同意であるし,まさにここが米山流批判の急所だと思う.なお,uematsu氏は信用創造についての米山氏の誤解(の可能性)を述べているが,私はどうもそこは勘違いの本質ではなさそうに思われる.一応米山氏は

「1.銀行の預金が貸し出されるのではなく、預金は貸し出しによって生まれる」

とおっしゃっているので,一応表面的には正しい事を言っている.一方,2ページ目の米山氏の主張

『預金が貸し出しを作るのか、貸し出しが預金を作るのかも同じ話で、同じ物事をどちらから見ているかに過ぎません。標準的経済学でも預金が貸し出しによって生まれると考えることもあり、特段新しい考え方ではありません。』

では,信用創造の理解についてのルーズさや曖昧さが垣間見える.イングランド銀行四季報でも述べられている様に,「貸出→預金」であって「原資→貸出」ではない[3].uematsuさんはルーズさが気になるのだろうが,そこは米山氏の主訴には影響していない(多分).米山氏の主訴はおそらく「実務的に予算はどうするのか」という事である.

[3] 中野剛志「奇跡の経済教室」から孫引き

14.主流派経済学と「セイの法則」とデフレ

主流派経済学(新古典派経済学)は『一般均衡理論』をベースにしていると言われている[1].セイの法則と呼ばれる,「需要は供給と常に釣り合うように価格調整が起こる」という法則(理念)に基づいているということである.

 

[1] 中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」

 

つまり,主流派経済学は「需要=供給」が成り立つ状況しか考えていないのである.これは素人目にも物事を単純化しすぎていると分かる.言い換えれば,インフレやデフレのように「需要≠供給」となった途端に全ての前提が崩れるのである.主流派経済学はインフレやデフレを説明するための理論ではない事が分かるだろう.さらに,このブログでは,セイの法則自体がそもそも物々交換幻想[2]から導かれた,信用に足らない法則であると痛烈に批判されている.

[2] 物々交換文明が過去に存在した証拠は未だ見つかっていない

 

では,デフレに対する解釈について,【主流派】と【MMTの元になったケインズ派】を比較してみよう.

 

主流派「デフレが起こるのは,経済成長が止まったり,少子高齢化が起きて需要が減ったからである」

ケインズ派「デフレが起こるのは,市中に需要(民の収入)が減ったからである.政府の積極財政より(市中にお金を注入して)需要を喚起できれば経済成長は再開する.少子高齢化も収まり,人口増加が再開する」

 

主流派経済学は少子高齢化や経済成長の減退がデフレの原因であると考えている.この考え方でデフレや少子高齢化を脱却できるとは到底思えない.

 

リフレ派などが用いる「ベースマネーを増やせばお金を借りる人が出てきて,需要も喚起され,経済成長する」という論理も,主流派経済学に属する.現実には,どんなに銀行がお金を持っていても,経営者が「市中には需要がない」と思えば借金をする事もなく,結果景気は良くならない.アベノミクス第一の矢「大胆な金融政策(異次元の緊急緩和をしてベースマネーを増やす)」を放っただけでは人々の暮らしが楽にならなかった事が何よりの証拠である.それよりも,第二の矢「機動的な財政政策」をしっかりとやって国民の所得を増やすべきだったが(この点はMMTとは関係のない高橋洋一教授らも指摘している),実際には第二の矢は放たれていない.リフレ派の意見が未だに強いか,財務省が財政出動自体をやりたがらないのだろう.

 

以上より,当ブログではケインズ派の意見を推したい.

番外編 1人1000万の税金

思考実験として、以下のものを考えてみよう。

 

「毎年4月1日に一人あたり1100万円をベーシックインカムとして配り、毎年3月31日に1000万円を人頭税として取る法律を施行する」

人頭税=全員同じ金額を納める税金

 

この状況だと,市中に流れるお金が人口×100万円だけ純増するので,確実にインフレになる.

人によっては日本はもう財政破綻すると思って,海外逃亡したり,有り金を全て金(きん)に換えたりするだろう.だが,殆どの人は

 

「差額で見ても100万円もらえたので,ちょっと贅沢しつつ今まで通り働きながら暮らそう」

 

と思うのではないか?多少インフレになっても,『お金が紙切れになった!』と言って大騒ぎする人はほとんど居ないだろう.かなり極端な例だが,この状況でハイパーインフレになるとは考えにくい.単年の差し引きでプラス100万円を配るというのは消費税を10%から0%にするよりも極端なインフレ政策である.

 

また、有り金を金(きん)に変えてしまった人も,年度末には換金せざるを得ないだろう(差額で儲けられればラッキーだが、価値が下がるリスクもあるため,そこまで魅力的方法には思えないだろう).今回のモデルは年一の徴税だが,税の取り立ての期間を短くすることで(毎月など),換金はより強い制限を受ける.徴税間隔を無限に引き伸ばせばお金を持っていてもしょうがなくなるので,ハイパーインフレになる.

 

また、1000万円を元手にビジネスをする人も居るだろう.つまり,税金とはある意味では国に強制される「借金」なのである.ビジネスで1億円を儲けた人でも1000万円の納税は免れないのだから,儲ったお金は大切に取っておくだろう.年間生活費で200万円で済むとすれば,年間差し引き100万円だけが口座から消えていく事を受容して,既に儲けたお金で数年間は自由を謳歌しようとする人も出てくるだろう.だから見た目上の借金がなくてもビジネスを行うインセンティブになる(積極的労働意欲の創出).

 

逆に,あまりに贅沢をしすぎたり,労働を放棄しすぎたりして持ち金が800万円になってしまった人は年度末に慌てて200万を銀行から借りるだろう.すると,来年なにも贅沢をしなくても(自動で貰える差額の100万円を全て返済にあてても)少なくとも100万円以上は稼がなくてはならなくなる.これが「消極的労働意欲の創出」である.

 

以上の例は,国が軍事力や警察権力によって税金を確実に取る事で日本円の価値をガッチリ守れる事を表す.

 

【おまけ】

平均的な生活費を簡単のため200万円と設定したが,もし上記の問題を1200万円インカム,1000万円人頭税と考えると一生遊んで暮らそうと思う人も出てくるかもしれない(生産性の低下).もし全員がそう思うような金額をプラス差額で配ってしまった場合は[s1],国定信用貨幣だろうがハイパーインフレになる.その場合の目標インフレ率と支給差額は不適切であることが分かる.故に,インフレ率はMMTでもベーシックインカムでもきちんと管理された現実的な値に設定しなければならない.

[s1] 例えば+1000万円=ベーシックインカム2000万円,1000万円人頭税 など

13.現金の大量発生とインフレの懸念

以前の記事で述べた様に,MMTの批判的な言説は大きく分けて

  1. 国債の大量発行に基づく民間の買い手の資金不足
  2. 国債が大量に存在する事による信用不安
  3. 国債・貨幣の大量発行によってインフレ・ターゲットが難しくなる

がある.1は信用創造に対する極めて単純な誤解なので論外であり,2は自国通貨建て国債(無限に借り換えができるもの)については全く問題ない池上氏らの報道は日本国債には当てはまらない).3.の亜種として,MMTは理論的にはインフレターゲットが可能であるものの,国民が愚かなので議会制民主主義で安定的にインフレターゲットを実行するのは無理だろう,という言説もあるが,それは愚にもつかない主張なので見る価値は無い.

 

ここでは3.について,以前の記事を再度まとめる.まず,インフレターゲットそのものの実現性については日銀は暗に認めている.なぜなら実際に政府の政策パッケージに入っているからである.何度も言うが,インフレターゲットは失業率(特にNAIRU)という概念が分かっていれば実現できるし,海外にも弱インフレ安定国はたくさんある.

 

上記を述べても,インフレの爆発を危惧する声が止まないようだ.日本人には慎重な人が多いのだろう.そこで今回は,心配の理由について分析していきたい.正しい理解のためには『現在の日本円の種類』を理解することが必要である.

先に結論を言う.多くの日本人は「日本円=商品貨幣」だと思い込んでいるために,上記のMMTの批判3.が正しいと思うのだろう.この意見自体は別にこのブログが初ではなく,中野氏の著書を始めとして,色々な所で指摘されている[1,2].そこで,以下ではそれが誤解であることを頑張って説明してみよう.

[1] 中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」 

[2] 三橋貴明氏の普段の主張

 

【現代の2種類の貨幣】

現在,貨幣として認識されるものは2種類ある.「商品貨幣」 と「信用貨幣」である.

 

商品貨幣とは,金本位制時代を例にとれば,「金(きん)との交換価値」を数値化したものであり,現代ではビットコイン[1]などが相当する.

商品貨幣は以下の性質を持つ.

  1. 発行量は有限性がある(金(きん)やビットコインは無限には生成できない)
  2. 通貨発行権は曖昧である(政府の権力に関係なく貨幣を作れる)
  3. お金の価値は「みんなこのお金を使うだろう」というような『信認』の概念から生まれてくる.

1については,使用者がある程度以上増えてくると希少価値が増大し,デフレのリスクがある[1].

2については,貨幣の乱造などが起こると,本位である実体(金など)に対して相対量が著しく変化するため,インフレのリスクも持つ.

1,2を合わせて,商品貨幣は数量の希少性に対して価値が激しく変化する性質を持つ.これは一般的な感覚とよく一致する.

3については,『ある種類のお金(あるは債権でもいい)の数が急激に増大すると,お金自体に対する信用がなくなってしまい,価値が暴落する』という,池上彰氏が折に触れて話す説明とピッタリ合う性質である.要するに,「そのお金は,みんなが実物交換価値があると信じているから価値があるんだ(共同幻想説)」という事である.あくまで共同幻想なので,氏の言う通り使用者間の信頼関係の変化に応じて暴落しやすい.

 

一方信用貨幣とは,「持ち主に貨幣価値分だけの利益(他人からの奉仕)をもたらすことが保証されている」ような貨幣の事である.例えば,「あるチケットの枚数分だけ、映画が見れる」というようなものである.ここによれば,貨幣と負債(=貨幣を持つものに対する奉仕の義務)は表裏一体であるとされる.

信用貨幣論は「相場」という考え方については商品貨幣論と大きく矛盾しない.しかし,数量の有限性は商品貨幣論とは異なり,返済(信用に対する報い)が揺らがない範囲では数量の無限性がある.また,「信用」の源泉が何なのかについては(つまり,誰が信用を担保するか)については何も言っていない.

MMTは,その信用の源泉を国に求めた.つまり,現在の貨幣を『国』が信用保証する信用貨幣(国定信用貨幣)であるとした.貨幣のもたらす利益とは税金を収めるのに使える事(納税手段になる事)だとされている[1,3].裏を返せば,日本円は日本国から課される税金をちゃんと払えるために(あるいは,原則的に日本円でしか納税できないために),価値があるのだとされている.日本円を全く持ってないと徴税期に逮捕勾留され,その事が日本円の価値を保証している事になる.故に,国家権力に従わなければならない人々はみな,日本円に対して等しく価値を見出すのである.商品貨幣における共同幻想などの曖昧な基準ではなく,国定信用貨幣の絶対価値は免罪機能なので激しくは動かない.通貨発行権を至上の物としつつ(国定貨幣),相対価値は古典的な相場の論理で決まる.

[3] Wray(レイ)の著書 

 

イングランド銀行によれば,(日本円も含めて)世界中で現在使われている通貨は信用貨幣であるという[4].商品貨幣が公に使われている国家はない.EUは信用貨幣を使用しているにも関わらず通貨発行権がないが,アメリカや日本等は通貨発行権も持っている.

[4] イングランド銀行四季報

 

【商品貨幣と国定信用貨幣の比較】

国定信用貨幣の説明から分かるように,日本円のパワーの源は,日本国の権力の強さ(特に警察権力や武力,あるいは国家の持続性,国民の持つ財産,人的資源)に対する信頼であると言える.この信頼は確かに無限に強く[5],商品貨幣の性質3(共同幻想)のようなあまりにも脆い信頼とはかけ離れている.ここまでの話に異論を挟む人は居ないだろう.だから内戦やテロで国家への不信任でも起きない限り,日本円の絶対価値が暴落するとは考えにくい

[5] 日本は世界トップの債権国でしかも健全財政であるから,信頼も大きい.ドル,ユーロ周りの不安が起こると決まって日本円が買われるのもそのためである.科学技術や人口の多さ,国土の大きさも信用の源泉である.つまり,少子高齢化は間違いなく国家の信用を毀損していく効果がある.

 

次に,日本円の相対価値(数量と価値の関係)についても考えてみよう.信用貨幣は『信用創造』からも分かるように,基本的に数量の上限はない.というより,お金の実体が無い.銀行は貸し出す相手を見て,不良債権にならなそうだと判断すればいつでもお金を貸すことができる[5].

[5] 銀行が日銀にもつ預金量は貸出上限には原則影響しない.但し,現金の引き出しだけは気をつける必要があり,そのために金庫を管理している.

 

「だったら,国債を発行しつづけてお金を無限に増やせば,いつか絶対インフレになるじゃないか!だって,お金の量が増えると,希少価値が下がるだろう?お金の価値が低くなって,物価が相対的に高くなるのがインフレのはずだろ」

 

と思う人が多いと思うし,国定信用貨幣は信用貨幣でもあるので、インフレするのは事実である.だが先述の通り,日本円(=国定信用貨幣)は『商品貨幣論』のような急激な信用不安は起こりえないので,お金の価値の暴落=物価の急激な上昇=ハイパーインフレはありえない.絶対価値(信用)と相対価値(相場)は完全に分けて考える必要がある.

 

相対価値(相場)については,仮に国債発行で貨幣の価値が時間と共に低下しても,それはあくまで貨幣の量=国債発行額に依存しているのだから,発行量に対して連続的に推移する(需給バランスを急激に壊す効果はない).故に,国債を今までの100倍量を一度に発行するとか,モノが急激に失われるとかでない限り急激なインフレはありえない.

 

まとめると,日本円は国定信用貨幣なので,

 

お金の絶対価値の保証先=国の徴税機能=国の軍事力&警察権力

 

が成り立つので,お金の信頼度が国力と同じくらいに高く,故に国債を発行しても信用の暴落がありえない.この事実はMMT全体の基盤となっている(だから無限に国債を借り換えることもできる=通貨発行権.暴落の危険があるのはあくまで商品貨幣または通貨発行権がない場合である.

さらに,相対価値をモノの量で決まるから,モノの量が一定であれば,急激なインフレは起きない.故に日本でインフレ・ターゲットを行うのは現実的であり,それは他の先進国と同様である.

 

もちろん,戦争や災害などが起これば急激に物不足になるので,インフレ率30%級が発生しうる.だがそれはあくまで外因性のインフレでMMTとは全く関係のない事だし,東日本大震災でも(元がデフレだったという事もあるが)インフレは起きなかった.また,日本国はインフレ退治は得意(消費増税等)なので,デフレ時からハイパーインフレを心配する事は完全に杞憂であると言える.

 

なお,インフレ状態をずっと続けることで,どうしてもお金の「額面」は変わっていく.これが会計上処理面倒になってきたらデノミでもすれば良い.年金システムを維持するのであれば、マクロ経済スライドのシステムを洗練させる必要はあるが.

 

 

 

 

 

 

12.MMT批判者の中には,国民の理性を本質的に疑っている人もいる

 

※この記事はMMTが分かっている人にとっては全くおもしろくない,愚にもつかないような議論なので,熱心なMMT批判者以外は読まなくて良い.

 

 

加谷珪一氏の興味深いMMT批判の記事を見つけたので,私なりにコメントをしたい.

この記事では「MMTがなぜ経済学的に正しい方法なのか?」については議論しない.

 

加谷氏の書き口は非常に冷静で,MMT推進派としても読んでいても心地よいものである.また,彼は他のMMT批判者のように些か突発的インフレを恐れすぎている(インフレ恐怖症)傾向こそあるものの,「MMTは理論上は可能である」と,経済学に対しては,極めて理性的な見解をお持ちのようである.彼こそまさに,

MMTは経済学的には何の不足もなく,実現が可能である」

と言っている(あくまで,経済学的な観点からは,である).彼はMMT推進派ではないが,MMT肯定派(実行は非推奨派)であるとは言えるだろう.また彼は,国民がインフレ時でも痛みを伴う改革に賛同できるのならば,MMTは机上の空論とは言えないだろう,とまで言っている.これはMMTに対する極めて強い肯定である.

 

では,彼の批判ポイントは何であろうか?なんと彼は,要約すると

 

「日本人は予算を冷静な判断で決定できないから,MMTなどが広まってしまうと,情緒的になって無限に金銭を要求するようになる.よって,MMTは日本では成立しない」

 

という見解なのである.このタイプの批判については,中野剛志氏は動画で「財政民主主義自体を否定する,全く論外な批判」と一蹴している.また,中野氏は「日本はデフレ下でも消費増税できる国だから,インフレ下で増税できないなんてことはありえない」と述べている(三橋貴明氏も同意見).

 

良識的なMMT批判者は,中野氏の批判がほとんど妥当であることが分かるだろうから,ここで読むのをやめて,他の記事に進んでいただきたい.以下の文章は単なる思考実験(空想)である.

 

**********************************************************************************

 

ただ,この中野氏の反論はある意味では完全ではない.例えば加谷氏のようなタイプの批判は,実は経済学的な批判ではなくて,極めて政治学的な批判であるからである.つまり,中野氏は極めて優れた経済学者であるとは思うが,そんな中野氏であろうとどんな頭脳明晰な人であろうと,個人の立場では絶対に答えられないようなMMT批判なのである.

 

というか,この加谷氏の批判に答えられる個人は誰もいないと思う.加谷氏のMMT批判は要するに,

① 政治家は,国民の利益を自発的には考慮せず,ただ選挙で受かるという保身のためだけに行動する

② 国民は,自分の将来について全く理性的な判断が下せず,国が滅ぼうがどうしようが目先の利益だけを追求する(国民の大半がエゴイストである)

 

………  書き下してみると,加谷氏は国民や政治家をどの様に見ているかがよく分かる.要するに加谷氏は,今や未来の日本国民は歴史に学ぶことのできないような,バカなエゴイストが大半だと言っているのである.氏は民主主義に対して,真っ向から挑戦状を叩きつけているのである.そう考えると,彼は結構過激な思想の持ち主なのかもしれない.

 

では,上記の①は全面的に肯定してみよう(笑).というか,①は別に成立してしまっても大きな問題ではない.悪徳政治家だろうがなんだろうが,国民が選んだ政治家が議員になって,何が問題なのだ,という話である.愚直なまでの,民主主義の完全なる肯定である.衆愚政治かもしれない.

 

問題は②である.果たして我々は,本当に自分の目先の利益ではなく,長期的な利益まで見据えて投票行為ができているのだろうか….

私も胸に手を当てて自分の行いを振り返ってみた.結果私は,当時の知りうる知識の範囲で私なりに国益を考えて投票したことが理解できた.根拠は,私は前回の参議院選挙では,れいわ新選組に投票していなかったからである.

 

私は前回の参議院選挙時点ではMMTを受け入れていなかった.過去の私は,拡張財源路線に最も批判的だった,典型的な「財政破綻論者(財源リアリスト)」だったのである.そこへ来てれいわ新選組の党是は最初から,「消費税廃止」「最低賃金1500円」などの,財政破綻論者には論外と思えるほどの拡張財源路線だった.だかられいわ新選組に投票するのはためらった.これは(MMTを理解していなかった,当時の自分としては)理性的判断と言えるであろう.また,これを読んでいるあなたがもし冷静な財政破綻論者ならば,私の言っている事はすぐに理解できるだろう.また,現在は強固な財政破綻論者である人は,今後は他の誰よりも深くMMTを理解する可能性がある.だから私は,財政破綻論者にこそ,MMTを勧めたいと思っている.

 

また他の観点として,党首がタレント議員だったから,どうせまともな政治などできるはずもない,と思ってれいわ新選組に投票しなかった人も多いだろう.それはそれで常識的な判断なので,そういう人も加谷氏提唱の②(バカ)には絶対当てはまらないだろう.さらに変化球で,「山本氏が偽善者に見えるから,嫌い」という人も居ただろうが,偽善を嫌う人の本質は紛うことなき善なので,全くエゴイストではないので,これも②ではないだろう.

 

では私個人やあなた個人の話はこれくらいにして,一般の有権者にまで話を拡張して考えよう.どう考えても,れいわ新選組の党是を知っていて,且つ②に当てはまるような浅はかなエゴイストであれば,れいわ新選組に投票していただろう.だがそもそも国民の多くは,れいわ新選組に投票していない.もちろん最初から財政破綻論者じゃないのに(MMT推進派なのに),れいわ新選組を避けた人もいたかもしれないが,それは流石に超少数派だろう.なぜならば,「れいわ新選組を嫌うMMT推進派は,N国党かオリーブの木幸福実現党はおそらくリフレ派),あるいはそれ未満の諸派などの,緊縮財政志向かどうかすらも分からない政党に入れるしかないからである」.老舗政党は押し並べて(最左派の共産党も含めて)明確な財政破綻論政党(緊縮政党)だからである.N国が1議席で,それ以外が0議席である以上は,MMT推進派で且つれいわ新選組を支持しなかった人はどんなに多くてもその程度(=98万票+16万票+α)だと言うことである.もちろん,N国党の支持者の大半がMMTを当時理解していたとも思えないので,MMTを分かっていてれいわ新選組に入れなかった人はどんなに多く見積もっても40万人そこそこなのだろう.

 

では,最後に②に当てはまるような困った人物が(あくまで可能性の話だが)多く含まれる可能性のあるれいわ新選組の得票の分析をしてみよう.れいわ新選組は前回228万票を取った.この内訳は,おそらく

【タイプ1】 MMTを当時完全に理解していて,財政政策に完全に同意できたので,投票した人(右派からの転向が多く含まれる可能性あり)

【タイプ2】 MMTは理解していないが,経済政策には強いので「今この瞬間は財源とか言ってる場合じゃないだろう.こんなにデフレが進行してしまっているのだから!」と思った人

【タイプ3】 MMTは理解しておらず,常識的な財政破綻論者ではあるが「今この瞬間は財源とか言ってる場合じゃないだろう.自民党政治で,こんなに人々が苦しんでいるのだから!」と思った人(本質的に左派.立憲社民共産公明からの転向が多いか?)

【タイプ4】 経済的なことはあまり分からないが,「格差を是正する」というれいわ新選組の方針に漠然と共鳴できた人.

【タイプ5】 経済的な事はあまりわからないが,山本太郎氏等のいずれかの党員を個人的に支持した人(いわゆるファン).

【タイプ6】 自覚的に加谷氏の②に当てはまる人(エゴイスト,悪意ある愚民)

このタイプ1,2は経済理論に比較的強い人なので,仮に内面的には利己的だったとしても,国を滅ぼす②のタイプ(タイプ6)とは完全にかけ離れているだろう.

タイプ3,4も心根が優しいか,常識人なので,少なくとも「利己的」ではないと言い切れる.

タイプ5だけがともすれば危うい,騙されやすいタイプの人たちだと思う.ただ,仮にいたとしても高々228万人である.

タイプ6のような,付ける薬もない人は殆どいないのではないかと思う(そう信じたい).

 

まとめると,日本国民の中で多分加谷氏の言うような利己的で浅はかな人間(②=タイプ6)は少ないと思われる.なので,確定的ではないが,加谷氏の批判はやはり極論の一種ではないかと思われる.加谷氏が批判すべきは寧ろタイプ5だったのではなかろうか.タイプ5は自然な存在なので,彼らの判断ミスで国が滅ぶのならば,これもまた致し方のない事である.

 

【補足1】 

タイプ5で山本太郎氏以外のタレント議員のファン(立憲民主党市井紗耶香氏,奥村政佳氏,須藤元気氏等.尚,須藤氏は最近MMTを理解したとされる)にも多いのではないか(つまり上限が228万人に収まらないのではないか),という指摘は有り得る.ただ,歴史的には「タレント議員が大半を占めるような政党(タレント政党)が政権を取ったことは一度もない」ので,これこそ日本人の理性の証明であろう.だから,多少タイプ5の効果があっても,そこまでは致命的じゃないと現状考えられる.加谷氏はこの事実にどのように反論するのであろうか?加谷氏の言っている「日本国民(愚民)」というのは,本当にどこに存在するのだろうか?

 

【補足2】

野党共闘推進派で,且つれいわ新選組に不信感を抱いている人は,れいわ支持者のボリュームゾーンはタイプ4か5だと思っている,のではないだろうか.タイプ4の人は大きな問題がないが,タイプ5に危惧をもつのは,まっとうである.もちろん心情的には,タイプ5の人はあまり多くないと思いたいのだが,実際は分からない.タイプ5はタイプ6のようないわゆる愚民ではないが,雰囲気に流されている素直な人も結構いるのではと思うので,状況次第で今後この国がどうなっていくかのカギを握る場合もあるだろう.また,(我々)れいわ新選組支持者は,他党の支持者からはそういう目で見られている可能性があるということは,理解しておく必要はあると思う.特にタイプ1の人は,他党支持者を叱っちゃダメである.自分が見下しているか,不信感を持っている相手からの説教ほど,不快なものはないからである.

 

【補足3】

もしかしたらこれを最初に話すのが筋だったのかもしれないが,世の中には組織票というものがあり,既得権益を維持するために選挙前から投票先が決まっている人がいる.

そういう人たちはかなり多いのかもしれないが,一言言いたい.そんな行為を続けても,絶対あなたは今以上には幸せになれない(なぜなら,絶対にデフレから脱却できないから)ので,今すぐ組織票に加担するのをやめなさい.

 

【補足4】

「私は前回れいわに投票していない.れいわ新選組の党是なんて,知らなかったので」という人も結構いるだろう.ただ,そういう人は②に当てはまろうがなんだろうが,そもそも政治への関心が薄い人なので,加谷氏が気にする心配とは一切関係ないだろう.その中でも,「今の政治に失望したので投票に行かない層」も一定数居ると思うが,はっきり言って,「今の政治の現状に失望する感性は極めてマトモ」なので,彼らが政治への関心を復帰させたら,まっとうな政党に投票してくれることは間違いない.

11.無駄な公共事業とベーシックインカム

再度,中野剛志氏「奇跡の経済教室」でのトピックを取り上げたい.中野氏は【基礎知識編】のp69で

 

『もちろん,デフレの時の政府の支出は,無駄なものにではなく,必要なもののためになされたほうが良いのは,事実です.(中略)しかし,「無駄な公共投資をする」と「無駄な公共投資をしない」とでは,どちらが正しいかと言えば,デフレの時には「無駄な公共投資をする」ほうがずっとよいのです』

 

と述べている.氏は更に過激な表現として,デフレ時に限って

 

最善の策:必要なものを造る公共投資

次善の策:無駄なものを造る公共投資

無策:公共投資を増やさないこと

最悪の策:公共投資の削減

 

と言い切っている.私もこれに賛成するが,一般の国民はおそらくインフレ&デフレに限らず

 

最善の策:必要なものを造る公共投資

次善の策:公共投資の削減

無策:公共投資を増やさないこと

最悪の策:無駄なものを造る公共投資

 

と考えているのではないだろうか?心が緊縮に傾いている人(いわゆる「新自由主義者」「財政破綻論者」など)はこの次善策と最善策が逆転している可能性すら有り得る.このブログで延々と述べてきたように,これらの考えはすべて「財源はどうするんだ」という,古い財源論に縛られていて,デフレ時は全くの勘違いである.財源が心配な人は当ブログの記事3.から8.くらいまでのページを見ていただき,考えを更新していただきたい(最終解答を急ぐ人は記事8の後半だけ見れば良い.そうすれば,MMTそのものにも興味が沸くだろう).

 

では,次善の策「無駄な公共投資」について,少し考えてみたい.「必要な公共投資」と「無駄な公共投資」を分けることは,可能なのだろうか?例えば道路の補修は通常必要な事に分類されるが,誰も使わない道路を増やしても,意味はない.

 

このように「明確に国益にならない投資」をするくらいならば,ベーシックインカムとして国民に配布し,消費を加熱することに使う方が良い.もちろん,MMTでは基本的に財源は気にしないので,ベーシックインカム公共投資は完全に分けて考えても良いのだが,基本的には国民皆こころのどこかで財源論(財政破綻論)に縛られているので,「無駄な投資するくらいなら,ベーシックインカムで配ったほうがいいんじゃね?」というストーリーが,感覚的に分かりやすいと推測できるのでそういう言い方を敢えてをしている.また, 「お金」に限りがないのはMMTの説明からよく分かることであるが,我々のもつ「時間(個々人の寿命)」や「資源」は明らかに有限なので,無駄な公共事業をしないに越したことはない.だからベーシックインカムなどで,『富の再分配』だけを推し進める方が,実にクレバーなのである.

 

ベーシックインカムは,従来型の社会保障よりもより強力な景気対策(デフレバスター)になる.年金をもらえない老人や無職の若者にさえお金を渡すので,日本に眠っている潜在的な,熱い個人消費需要を活性化する.そして何より,政治的なイデオロギーとしても,極めて平等的で気持ちの良いものである.むしろインフレになりすぎないかどうかが心配なくらいだが,その場合は財務省&日銀お得意の消費増税&金融政策で対応すれば良い.

 

【補足】

MMTのおかげで財源の心配がないので,学術の研究にはどんどん投資した方が良い.今はグローバリゼーションの関係で一極集中(例えば機械学習やAIへの過度な投資)が進んできているが,それそのものは継続して良い.国際競争力があるに越したことはないのである.これに加えて,現状は非採算的と見られる学術分野への投資を拡大するべきである(根本的に意味のある分野であれば).「誰にも,未来にどんな技術が必要になるかなんて,分からない」し,「財源の心配は基本的にない」のだから,国は学術への投資をためらってはいけない.現実には,有望な科学技術の研究でさえも「財源がないから」と断腸の思いで切ってしまっている状況である(https://www.mag2.com/p/news/425347).