3.国債の乱造はなぜ起こったか?
ここでは「信用創造に対する妥当な理解」と基礎的な需供バランスに対する理解だけに基づいて,「国民の借金」が乱造されてきた経緯を理解しようと試みる.
まずリンク先の一番上の図を見てみよう.これは1980年から2018年までの「民間の預金残高(マネーストック,M2)」「国民の借金(国債残高)」「国内民間銀行の貸出残高」「GDP」の決算を表したものである.
https://www.fair-to.jp/blog/debt(れいわ新選組大西つねき氏の公式サイト)
経済成長期は1988年くらいまで,以降はバブルと言われている.バブル後の停滞期を経て,1992年くらいからは経済停滞期と考えられている(失われた20年).
図から読み取れるのは,経済成長期までは国債の発行額は低く,それ以降は国債の発行額が伸びている.「信用創造」の原理的により,マネーストック[1] =民間銀行の貸出+公的資金の民間への発注ということは決まっているから[2],経済停滞期から民間銀行貸出がほとんどなかった故に,国債の発行額が増えている.
[1] 民間銀行に預金されているお金の量
[2] 政府が国債を発行して公共事業を行うときは,まず銀行に国債を渡し,それと同金額の小切手を政府が貰う.その後公共事業の発注先の民間企業へ小切手を渡すことで,公共事業への支払いが行われる.だから,「国の借金」で得たお金はすべて民間銀行の預金になる.すなわち,民間人の持ち金に最終的になる.
大手メディアでは,一般に「国債発行の乱造(公共事業の増大)は,政治家と土建屋などの間の癒着が原因である」と報道されている.癒着によってもたらされた部分はあるにせよ,結論から言えば,本当の大きな原因は「デフレが起きる事,それそのものが国債乱造の原因」である.言い換えれば,日本の政治家がどんなに清廉潔白に政治を進めていたとしても,遅かれ早かれ国債発行額(→財政赤字)は増大していたといえる.国債乱造は今の貨幣制度の避けられない原理的な問題だったのである[3].
[3] MMT自体にあまり興味がなく,とにかく国の借金を減らす方法を先に知りたい人は,この記事の後半部分に書いてある.
デフレそのものが国債乱造の原因で,且つそれが長期的には避けられないものである事を説明してみよう.
まず,
「ビジネス=民間企業が他人に奉仕することで,他人の預金を貰う事.他人が預金を持ってない場合には,(合法的)ビジネスは不可能とする」
と定義する.
また,デフレとは供給(労働生産性)が需要(国民の消費能力≒民間の預金残高)を完全に追い抜いたことで起こっている現象である.
信用創造の原理より,
①日銀当座預金残高+銀行貸出残高+貨幣は,すべての民間債権+国債の合計と等しい[4] .言い換えれば,すべてのお金(預金)[5]は必ず誰かの借金[6]になっている.
②金利がゼロではない場合,債務不履行を避けるためには民間企業は常に「最初に銀行から借りた額」よりも大きな額を労働によって生産し続けなくてはならない.この結果,借金返済によって一時的に預金が減る事はあるものの,長期的にはマネーストックがどんどん増えていく.信用創造自体は民間企業への貸出でも政府による国債発行=公共事業のどちらでも最終的に民間人のお金になることは同じなので[2],合計金額だけが問題である.
③経済成長期が終わるとビジネスチャンスが少なくなり,民間企業は事業失敗による金利を抱え込むリスクを取れなくなってお金を借りる意欲(信用)が低減する.その結果,多くの事業は停滞し,労働者たちの収入や雇用が減る.労働者=消費者なので,ますます購買意欲が低下する.その結果,合理的な経営判断の範疇で[7],倒産回避のための内部保留が増えていく.
[4] 厳密には海外取引分も加わるが,今の日本ではご存知の通り「国の借金をすべて返すほどに海外に資産を持っていない」のだから,論旨に影響するほど致命的に大きな割合とまでは行かない.
[5] 先述のマネーストックのこと.リンク先の図ではM2が使われているが,そこは論旨に影響しない.
[6] 表面的には,労働者(一般国民)は借金をあまり抱えておらず,民間企業が大きな借金を抱えている.但し,一般国民はその民間企業の借金と対になる国債を返済する義務を追っているのはご存知の通り.
[7] 中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」
①②の縛りは永続し,③は自然法則なので,外圧がかからない限り[8],自発的にインフレになることはありえない.デフレの原因を日本の経営者の経営判断に押し付ける事は,根本的に間違っている[7].また,安倍政権で行われている量的緩和金融政策もデフレ時には効果が薄くなる[7].
[8] 社会民主主義政党が政権を取って,『大きな政府』が実現されれば,福祉政策や格差対策などによってインフレ圧力がかかる.いまは自民党政治によって『小さな政府』が実現しているので,外圧が弱いのである.
①②の縛りがあるので,デフレのときは国債発行で外力を加えてマネーストックを増やし続ける必要がある.政府がこれを怠ると市中のお金が減り,その結果民間企業はビジネスが見つけにくくなり,債務不履行が起きやすくなる.当然民間の雇用も減退してしまう[9].故に,国内経済を安定せるためには国債残高が増えていく事が不可欠である.
[9] 経済成熟国で失業率が上がる要因は,民間企業の経営手腕の巧拙というよりは寧ろ,市中のお金の量(=ビジネスチャンス)が少ない事なのである.つまり,デフレなのに儲けられる社長のほうが異常な存在で,平均的には儲からないのである.
要するに,デフレを脱却する以外に,国の借金を税金で返す(つまり,税収を増やすことで対応する)ことは不可能である.加えて,仮にデフレを脱却して税収アップに成功しても,税金で国債を完済する事も現実的には不可能である.なぜなら,マネーストック=国債残高+銀行貸出だから,マネーストックを高く保ってマイルドなインフレを維持している間は国債残高を大きく下げることはできないからである.そこで財務省・日銀は財政出動と金融緩和の合わせ技でプライマリーバランス[10]を,延命策として推奨・推進している.
[10] 税収と政府支出を毎年度バランスし,財政赤字を極力出さないようにして,極力ゆっくり国債を増やし破綻を無限に遅らせる戦法
次に述べるが,このプライマリーバランス戦法こそが,日本の20年間に渡るデフレを延命させた根本原因である.
【補足】
政府の国債の直接引受は法律で禁止されている.だが,実質的には直接引き受けと同じ事が行われている.それはhttps://www.youtube.com/watch?v=LJWGAp144ak の38分ころから44分くらいまでの,中野剛志氏の解説で述べられている.
2.なぜ消費税こそが「最悪の」税であるか?
『財源論』を主張する人は,基本的に税金を政府の財源とする,という考え方を持つ.このブログでは最終的に,「税金を財源とはしない」ことを提案する.財源=税金 の具体的な批判は後回しにして,まずは税金の中でも「消費税は格差拡大を進行させる究極の悪税である」事を述べたい.
日本のGDPの6割弱は家計消費である. 消費税は消費そのものに強力なペナルティを与える(例えば年間200万円を消費に当てる人は10%と5%では収入が10万円異なる).基本的に貧困層は貯蓄ができず年収のすべてを消費に当てざるを得ないため,消費税の負担が富裕層よりも大きい(税の逆進性).逆に言えば,貧困層の収入を消費税減税で下支えすれば,それは即効性の極めて高い景気対策になる.一方,富裕層に同額の減税をしても,それは景気刺激にはつながらず,預金(か投資)が増えるだけで,良い景気刺激策にはならない.よってデフレ時は,GDPを上昇させたいという目的からも消費税は悪税である.
だが,私たちは以下のようにテレビで見聞きしたはずである.
① 消費税は社会保障補填などの『財源として必要』である
② 消費税は全国民から『公平に取る税』である
③ 日本は海外に比べ『所得税が高い』ので,消費増税は調整役になる
まず①だが,実際の用途に関しては明確に社会保障費ではないと否定できる.
1991年と2018年の比較でいうと,消費税の増税分が大体所得税・法人税の減税分とほぼ一致する(参考文献,あるいは山本太郎氏の政見放送).つまり,消費税は法人税の穴埋めに使われている.お金には「名前」がついていないように,一旦抑えてしまえばあとは金額だけの違いなので,収支が一致するものは穴埋めに使われたと言われても否定できない.
次に②だが,そもそも公平とは『能力に応じて負担すること』である.もちろん,すべての日本人が全く独立した個人で,すべての人に公平にビジネスチャンスが与えられている状況であれば,消費税は良い税制かもしれない.しかし実際には,世襲議員や既得権益などもあり,また他の税制上も大企業や資産家が優遇されているため,スタートが異なる.よって,本人の努力の差なのかスタートの違いによる差なのかは誰にもわからないどころか,やや不公平である.故に,少なくとも今の日本では消費税が公平であるとは言えないと思われる.
次に③だが,また,日本は海外主要国に比べても高額所得者にかかる所得税が低く,半分程度と言われている.また,日本は海外主要国と比べ法人税が高いといわれて「いた」が,現在は特に低いとは言えない.だから,この筋で増税する理由はない.
以上より,消費税を「今」増税する正当性は,甚だ疑問である. どうしても消費税をやりたければ,まずは「デフレ脱却」を達成し,大企業資産家の権益を完全に破壊してから行うべきである.それであればまだ正当化されるのだが…
【参考文献】
1.政府は民間企業のようにコストカットしてはいけない
以下は中野剛志「奇跡の経済教室【基礎知識編】」の第三章『経済政策をビジネス・センスで語るな』を自分なりにまとめたものである.
一般のメディアは「政府の無駄遣いをやめろ!」と報道する.これは,経済がインフレ状態の時は正しい訴えである.だが中野氏は,デフレ時にはこの指摘は的外れどころか,国を滅ぼす害悪でしかないと言う.
一般に,インフレとデフレは以下のものである.
インフレ:物資不足(供給不足=生産性が低い),需要過多
デフレ:物資過剰(供給過多=生産性が高い),需要不足
インフレが起こっている場合は,民間企業が需要を簡単に見つけて,上手に商売できる状況にある.だから,公務員を無駄に増やす必要はなく,いわゆる「政府の無駄遣い」が批判されるべきである.
一方デフレが起きている場合は,民間企業が需要を見つけるのは一般には難しい.よって公共事業を行い,公務員に市場で消費をさせることで,民間企業に新たな需要を提供する必要がある.だからこの場合は,いわゆる「政府の無駄遣い批判」は的外れである.
しかしながら,民間企業は一般に「常に生産性を向上させるべき」と思って行動する.これについては全く異論はない.デフレだろうがインフレだろうが,民間企業(営利企業)はひたすら生産性を向上させて生き延びるのが筋である.だが,このセンスを政府経営にまで拡張してしまうと,途端に間違いとなる.政府には,民間企業にとっての需要が常に枯渇しないように場を提供するという責任がある.
だから結論として,今の日本では国策的に市場に需要を供給し,弱いインフレ(マイルドインフレ)を起こし続ける事が妥当であるといえる.ここで訴えたいのは
「インフレ時は,政府は民間企業と同じ経営センスを持つ事が好ましい」
「デフレ時は,政府は民間企業を支える側に周るべきで,民間企業と同じセンスで動いてはいけない」
ということである.「民間企業のセンスを政治にも活かす」という発想は,インフレ時は正しいが,デフレ時は根本的な思い違いなのである.
では,現在の日本政府 が行っている政策はどうだろうか?いわゆる「構造改革」は確かに政府の『財源』を確保するという点においてはあたかも正しそうに聞こえる.『財源の確保』『無駄遣いをやめる』事に反対する人はいないからである.また,政府の財政赤字を心配する人も当然いる.
結局,「デフレ時は政府は支出をためらってはダメ」という主張を否定する根拠は「では,財源はどうするのだ」という所に行き着くし,それ以外に帰着するような政治的批判は非人道的である.
このブログでは,『財源』の問題を軸に,今の日本の状況の分析からスタートして,アメリカから入ってきた新理論である現代貨幣理論(MMT)に着地する事を目指す.MMTは日本含めた各国が慢性的に抱える『財源』の問題を解消する.MMTの説明に対して補足的に,れいわ新選組の大西つねき氏らが主張する「政府紙幣によって“国の借金”を減らす」方法についても触れる.
【注釈】
もちろん私も,「既得権益」は嫌いであるし,インフレ時でもデフレ時でも社会にとって害であると思う.ただ,それ以上に今は「デフレ脱却」に全力を注ぐべきで,インフレを起こすためならば多少のインフレ加速型既得権益(=公務員の増大)はやむなしと思われる.イギリスのサッチャー元首相は,当時のイギリスはインフレに悩んでいたので,インフレ型既得権益を破壊した(小さな政府を目指した).今の日本ではこれを真似てはダメであり,デフレ脱却の過程ではインフレ加速型既得権益の発生は黙認し,インフレが加速しそうな局面で整理(破壊)すれば良いのである.
【補足】
なお,国策インフレを起こしていくべきと述べると,一般にはハイパーインフレを危惧する指摘がある.そこで,ハイパーインフレとインフレを区別しておこう.
ハイパーインフレ:極端な物資不足,インフラ不足,国民は貧しい
成熟社会におけるインフレ:物資やや不足,インフラ十分,国民は貧しくない
要するに,物資やインフラの状況がハイパーインフレ(物不足)のときとはかなり違うので,両者は根本的に区別するべきものである.詳しくは後に述べるが,結論から言えば今の日本ではハイパーインフレは絶対に起こらないと断言できる(これ以上の極端な少子高齢化が進んで国が本当に傾きそうにならない限り).